言いたいことがあるから作ってみた
なんでブログをはじめたのかというと、「AV女優強要」やら「女性の貧困」が取り上げられるようになったから。
そういった記事を読んで、「女性として」不愉快に感じた。私が元AV嬢だったから、とかそんなん関係ない感情だと思う。
なんでかな、と思っていたんだけど、そういうの書く人は2つの感情で書いていることに気がついた。
1つ目は、「かわいそうな女性」像を作ることで得をするから。
2つ目は、「偏った正義感」で良いことをした感覚になれるから。
「かわいそうな女性」がいたらなんで得かというと、それは男女で違う気がしている。
書いてる人が男性なら、「もっともらしく書き立てて、『女性の性』に触れられる。(正直、気持ち悪いです。そう書いてるつもりがなくても、それが表に出ているから男性にウケるのでしょう。)
書いてる人が女性なら、「女性の権利」を主張する材料にできる。(そういう主張が肩身狭くなる原因にもなることをお忘れなきようにお願いしたいです。)
ちなみに、川名さんは頑張ってらっしゃるなと思ってます。応援しかできないですけど。
で、この両方において厄介なのが「偏った正義感」。
認知を上げることで救えることも世の中には確かに存在する。
けれども、果たして認知を上げることが世の中を変えることにつながるのだろうか。
私はセーフティーネットでもあると思っています。実際、救われたと思ったし、だから今の私は生きているし。
なんで「かわいそう」だと決めつけるの。
「かわいそう」だといけないの?
そういう風にしか生きられない人、生きられないタイミングがある。
人生はその人が作るものだから、誰かが介入するにはものすごい労力が必要だと思う。
だから、社会福祉は難しい問題なわけだし。
妙な「正義感」で、それっぽっちの気持ちで救えるわけがないと思ってます。
メンタル面も金銭面も仕事面も、あらゆる生き方において、そんな上辺だけの人に救えるわけがないと思っています。
これはものすごい批判だけど。
だって「悲しいことばかりじゃないです」って語っているじゃない。
その取材者の方は。
なのに、全体通して読むと「かわいそう」に見えるように構成しているのは悪意でしかない。
それをしたり顔で読む、分かったつもりのおっさんやフェミニストにはヘドが出る。
お前に救えるか。
救えないからほっとけよ。
女の子買ったくせに「やった後に説教垂れるおっさん」とやってること一緒だからな。
行動もしないくせに分かったつもりになられるのが一番頭に来ます。